双極性障害1型の主婦の日常あれこれ

2005年頃に双極性障害と診断され、鬱の波がほぼ一年中です。
一昨年3月から必要に迫られて、お仕事を始めましたが、入退院の繰り返しで最近は働く事を諦めました。
両親とも上手く行っていない、双極性障害、前途多難な障害者のブログです。

3.11 あれから6年…

今日は東日本大震災から6年目の日ですね。


ワンダムは東日本に住んでいるので、忘れられません。


自宅の被害は飾りボードが階段から落ちて来た事だけです。


あの日は金曜日でした。


あの日、あの時間は私はお昼寝していました。揺れで目が覚め飛び起きました。


次男は厳しい高校受験を終えて晴れて合格し、開放感に浸って友達と遊びにイトーヨーカドーに行っていました。


長男は高校2年生で教室に居て大きな揺れに、友達とはしゃいで、校庭に出ると窓ガラスが割れていて、女子が泣いていて、ただ事では無いと思ったそうです。


後で判った事ですが、夫は会社に居て、停電し、仕事どころでは無くなり、電車は動いていないし、会社にみんなで泊まる事になりました。


地震の直後、次男から私の携帯に電話があり、大丈夫か確認がありましたが、それ以降直ぐに夫に掛けても繋がらず、翌日まで電話は繋がらなかった様に思います。


次男は近所のスーパー、長男は自転車通学の高校だったので、無事帰宅しましたが、私は地震の直後、コンビニに行ってお弁当を多目に買って来ました。他のお客さんはペットボトルのお水を持ち帰れるだけ買っていた人を見掛けました。


この行動は正解でした。明るいうちだったので、物置にしまってあるランタンを出して暗くなっても停電しているので、それを使いました。


子ども達が帰って来てからは、3人の無事を確認し、夜にランタンの下、コンビニ弁当を食べて過ごしました。


断水はしなかったので幸いでした。


地震の状況はラジオで聴いていましたが、アナウンサーが必死に津波の危険を叫んでいる声が聞こえ、恐ろしい事が起こる。とやり切れない思いと心配で一杯で連絡の取れない夫の事も心配でした。


確か、翌日、漸く夫の携帯に連絡が付き、会社に泊まった事、予定通り実家に帰る事を聞き、(こんな状況なのに、実家に帰るんだ)と思いましたが、独り暮らしの義母の心配もあったので、まぁ何とか頑張って帰省してよ。と思っていました。


テレビも翌日から点いたと思いますが、津波の被害の恐ろしい光景を見て、心の中に津波が襲って来た様な気持ちになりました。


節電とか計画停電とか、福島の原発事故で少しだけ、生活に影響はありましたが、震源地付近の方々に比べたら、大した事はありませんでした。


困ったのはガソリンが買えなかった事です。

家は週末にスーパーで纏め買いの家なので、車が使えないと不便です。ガソリンが半分しか残っていなくてガソリンスタンドに並んだけど、1時間前に並んでもチケットは品切れで、もうすぐガス欠と云う時点で、普通にガソリンも買える様になりました。


明る過ぎた商業施設の電灯は控えめになり、丁度いい位の明るさになり、計画停電は実行されず、夫も何時間も掛けて実家に辿り着き、自宅まではわりと普通に帰宅しました。


家はオール電化なので、乾電池を切らさない様にする事と、何時でもランタン、懐中電灯、ラジオが使える様にテレビラックの下に一式、揃えてあります。


ワンダム地方では、死者も出ましたが、少人数で生活にさしたる支障も出ず困ったのが1日位でした。(ガソリンを除いて)


コンクリート火災の被害が回って来ると言うチェーンメールが数人から送られて来ました。デマと云うのは怖いですね。

関東大震災の時の朝鮮人が毒を井戸に入れたと云うデマを思い出します。


テレビでは繰り返される津波の被害の様子で気分が悪くなりました。


何時起こっても不思議では無いと云う首都直下型地震が起きたらどんなに、日本中が混乱するかと思います。


我が家にもどれだけの被害が出て、避難所暮らしに若しなったら、犬達はどうするか?泥棒対策はどうするか?心配し出したら切りがありません。


6年経った今尚、震災の被害に遭っている方々、亡くなられた方々、行方不明の方々、謹んでお見舞い申し上げます。


そして、余震の様に未だに震災の2次被害とも言えるいじめに遭っている方々、現状から一刻も早く抜け出せる様にお祈り致します。


自然災害とはいえ、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震と短期間に大災害が起きて、明日は我が身とも知れぬ中、平和に今日も過ごせる事を有り難く思います。

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。